第一線で活躍するプロも教育に参加②
ガイナックスの創業メンバー
GAINAX京都代表取締役
京都情報大学院大学教授
株式会社 GAINAX京都代表取締役
日本SF作家クラブ会員 宇宙作家クラブ会員
『新世紀エヴァンゲリオン』をはじめ,日本を代表する数々のアニメーションを製作する株式会社ガイナックスの設立メンバー
武田康廣 Yasuhiro Takeda
京都情報大学院大学(KCGI)の武田康廣教授は株式会社ガイナックスの元取締役・アニメーション製作本部長で,株式会社GAINAX京都などの代表取締役を務めています。これまで,アニメーションプロデューサーとして『ふしぎの海のナディア』や『天元突破グレンラガン』,『アベノ橋魔法☆商店街』,『はなまる幼稚園』など多数の作品を手掛けてきました。
KCGIでは「アニメ企画・製作・プロモーション特論」を担当,KCGでも「特別講義」などで講義をします。アニメ制作においての苦労話,アニメ業界の今と未来など,さまざまな興味深い話を聞くことができるでしょう。
武田教授にお話を伺いました。
feature
日本アニメによるビジネスを探る
- アニメをビジネスにするためのキーワードは何でしょうか。
- 私の今の主な仕事は,アニメーション企画のプロデューサーです。アニメの企画書を制作し,一緒に仕事をしたいと思う会社と交渉して放送枠を決め,具体的に予算を確保します。作品が出来上がってからは,いかに資金を回収するかを考えることが大事。それを実行することが,すなわちビジネスであるといえるでしょう。
- 武田教授がアニメに携わるようになったきっかけを紹介してください。
- 最近企画した作品は「放課後のプレアデス」があります。現在は,新規アニメ企画を数本進めています。そのような私ですが,現在の仕事をしているのは偶然です。学生時代は全く別の勉強をしていました。しかし,学生時代に好きで開催していたイベントや自主制作活動が,気がつけば仕事になっていました。なので,気分としては今でもアマチュア活動です。というよりは,いつまでもアマチュア時代の「楽しいこと,面白いことを率先して」を忘れないようにしています。
- アニメを学ぼうとしている学生にメッセージをお願いします。
- アニメ作品を企画制作するということは,すごくエネルギーがかかります。そのうえ,資金を集めて制作するということは,責任が発生します。作品は人に見てもらい,評価を受け,資金を回収し黒字を出す。そこまで考えるのが,企画としての完成形です。作品さえできればOKというのでは,ただの自己満足にすぎません。作品は評価を受けて初めて完成します。評価は,作品に対してだけではなく,行動や,発言など,世に対して発表したことすべてに向けられます。ですので,皆さんも評価に対してしっかりと立ち向かう気概を持って学んでください。
武田教授に少年時代のお話を伺いました。
武田先生は大阪のご出身だそうですね。
生まれも育ちも,大阪の南の泉州です。今でも実家があります。両親ともに健在で,幼稚園,小中学校以来50年以上付き合っている連中が今も地元にいます。その後京都の人と結婚したので,今は京都にも家があります。
1957年(昭和32年)に生まれました。テレビ放送が1953年(昭和28年)に始まり,物心ついたころはテレビがあった世代です。その頃は日本の番組はあまりありませんでした。今みたいに録画はないので,生放送の番組を見たり,それにアメリカのテレビ番組もよく見ました。「アウター・リミッツ」とか,SFものが多かったですね。
そのうちに日本製の番組でも「海底人8823(はやぶさ)」とか,「鉄腕アトム」実写版とか,SFのドラマがだんだん出てきました。日本製テレビアニメが放送されるのはまだまだ後になってからです。
それから,その頃はウォルト・ディズニーのテレビ番組がずっとあったんですね。あとは映画です。そういう意味でアニメに限らず,西部劇とか,ミステリーとか,黄金期のアメリカ映画がたくさん放送されていました。
子供時代はどんなお子さんだったんですか。
みんなを誘ってあれしよう,これしようといろいろ考える子供でした。小学校の時にクラス対抗かくれんぼ大会をしましたよ。放課後に残ってクラスの中で男女に分かれて派手にかくれんぼしていたら,そのうちに他のクラスの連中が混ぜてくれって言うんで,6クラスあるのを3クラスずつに分けてやりました。
中学校の時には,行事で各クラスが何かするというときに,演劇には全く興味がなかったのに,思わず「舞台をしよう」と言ってしまいました。「劇なんてどうやってするかわからへんやん」と言われたんですけど,「大丈夫,脚本は僕が書く」と。脚本を書いて演出までしました。
ガキ大将ではなく,どちらかというといじめられっ子だったと思います。ただ,その頃はいじめという言葉もなかったので,そういう意識もありませんでした。
本もお好きだったとか。
そうですね。小学生の頃から本を読むのが好きでした。たくさん読みましたね。小学校4年か5年の時に図書委員になって小学校の図書室の本を全部読んでやろうと思って,一通りは読みました。ミステリーとかSFとか,ルパン,ホームズ。
もしこういう道を進んでいなかったら何をされていたと思いますか。
科学者になりたかったんですよ。昔読んだ「宇宙船ビーグル号の冒険」(A・E・ヴァン・ヴォークト著)というSF小説がありました。連作短編なんですが,その中に,「総合科学者」というのが出てきます。総合科学者は個々の分野の専門家ではなくて,いろんな専門分野の知識を広く浅く持っているんです。専門のことは専門家に負けるんだけど,専門家の知らない分野を知っているわけです。例えば物理の学者は物理のことはわかっているけど,機械工学のことはわからないわけです。そこで総合科学者が機械工学の知識を持ってくると,問題の解決ができる。要するに科学のプロデューサーですよね。そういう科学者になりたかった。
科学者と言っても,プロデューサー的な科学者なんですね。
その意味では,夢を別の形でかなえたと言えるかもしれません。
この学校で教えようと思ったのは,人を育てたいと思われたんですか。
人を育てたいというよりは,これまで経験のないところを見てみようかと。新しい空気ってなかなか入りにくいですから。どういう人たちがコンピュータの勉強をしているのかも興味がありましたし。
学生に将来どういう風になってほしいと思いますか。
将来学生たちがどういう風になりたいのか,何をしたいかわからないこともあります。でも自分も,何をやりたい,というのではなく,何となく自分が向いていたところに,なし崩し的に行ったので。昔と今では時代も違いますが,今の彼ら・彼女らが目指すことに対して,先輩としてきっかけを与えられたらと思います。コンピュータの勉強をしてプログラムをするからといって,想像力が要らないわけではない。むしろ想像力が要るし,新しいものに目を向けなければ。コンピュータの勉強をしているから,コンピュータのことしか知らなくていいということじゃないですよね。
何かプログラムを作るにしても,どういうことが,何のために必要なのか,想像しなけりゃ作りようがありません。自分が勉強していること以外のことに目を向ける。例えば車のことをやっているから,車以外は知らなくてもいいということではない。なぜその車に乗るのか,なぜ車が好きなのか。いろんなことに目を向けて初めてできるということですね。アニメ・映像に興味を持って,そこから視野を広げるというようなことになれば面白いのかなと。
学生に何を望みますか。
本は読むべきですね。やはり本は知識と教養の源ですから。読み散らかしてもいいからどんどん読むべきです。小説だけじゃなくていろいろな本を。今はネットがありますから,ちょっと興味があるときにネットで調べて,それで本を買って読んだりするのも面白いですよね。米子映画事変の件でよく鳥取に行きました。昔の出雲の国ですよね。以前から神社などに興味がありましたが,ますます興味が出てきて,向こうの神様について本を読んでみようかと。地方に行くと,その地域の史家の書いた本がありますから,そういうのを買って読んだりします。そうしたことは,その後仕事とどう結びつくかわからないですが,そこが面白い。
先生ご自身の趣味は何ですか。
趣味はだいたい仕事になってしまいました。エアガンが好きでしたが,それもお店を開いてしまいましたし。仕事にしていない趣味といったら車ですね。
僕はどんなしんどい時でも車に乗ると元気になるんです。車で5時間,10時間と一人で運転するのが好きです。誰とも話さずに,たばこを吸ったり,好きな音楽を聴いたりしながらドライブするんです。本当はバイクも好きなんですが,最近は乗っていないですね。中型しか持ってないので,大型免許を取ってハーレーに乗りたいんですけど。
東京から京都に帰る時もたまに車で帰りますよ。夜中に8時間ぐらいかけて中央高速を走ったり。京都まで一人で帰るとすごくいいですね。ドライブインに泊まって一人でじっと考えたりね。
オープンカーも持っています。冬にオープンカーで走ると気持ちいいですね。20年前に買った日産のシルビアという車です。日本で300台しか売れなかったという。まだ乗っているのは日本で数人だと思います。僕はぼろぼろになっても乗りたいと思っています。
少年の日の夢とロマンを追い続け,そのまま大人になって走り続けている武田先生。
その眼差しは,今も未来を見つめている。