(75308) Shoin = 1999 XY37  吉田 松陰(1830−1859)
公転周期: 3.62年      絶対等級:15.0等      推定直径:6km
軌道線は内側から水星・金星・地球・火星・Shoin・木星・土星で,赤色は黄緯が正(画面の手前)であることを表す。
 幕末の勤皇志士・教育家。萩市松本村に生まれ,5歳のとき実家杉家より吉田家の養子となる。佐久間象山に師事。安政元年(1854年)に浦賀に再来航していたペリーの艦隊に対してアメリカ密航を望んが,拒絶されて奉行所に自首し,伝馬町の牢屋敷に送られ,さらに長州の野山獄に入れられる。出獄後,叔父玉木文之進が主宰していた松下村塾の名を引き継ぎ,杉家の敷地に松下村塾を開塾する。この松下村塾において松陰は長州藩の若者たちを身分にかかわらず教育,その方法は弟子と一緒に意見を交わしたり,畑仕事,登山,水泳なども行なったといわれる。松蔭は弟子には非常に優しく,不登校生を親切に諭している手紙が残っている。また「僕」という一人称を好んで使った。その門下生である高杉晋作・久坂玄瑞・伊藤博文・山縣有朋・吉田稔麿・前原一誠たちは幕末から明治維新にかけて大活躍した。安政の大獄により斬首。獄中にて遺書として門弟達に向けて『留魂録』を書き,その冒頭に有名な辞世の句が記されている。
  身はたとひ 武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂
 松陰の号である二十一回猛士とは,実家の名字の「杉」の字を十 八 三に分解し,これらを合計した数字が二十一となること,また「吉田」に含まれる数 十一と十を加えると二十一となることによりつけられたそうである。