==椰子の実==
名も知らぬ 遠き島より 流れ寄る 椰子の実ひとつ
故郷の岸を離れて 汝はそも 波に幾月
旧の樹は 生いや茂れる 枝はなお 影をやなせる
われもまた 渚を枕 ひとり身の 浮寝の旅ぞ
実をとりて 胸にあつれば 新たなり 流離の憂い
海の日の 沈むを見れば たぎり落つ 異郷の涙
思いやる 八重の汐々 いずれの日にか 国に帰らん
==千曲川旅情の歌==
小諸なる古城のほとり 雲白く遊子悲しむ
緑なすはこべは萌えず 若草も藉くによしなし
しろがねの衾の岡邊 日に溶けて淡雪流る
あたゝかき光はあれど 野に滿つる香も知らず
淺くのみ春は霞みて 麥の色わづかに青し
旅人の群はいくつか 畠中の道を急ぎぬ
暮れ行けば淺間も見えず 歌哀し佐久の草笛
千曲川いざよふ波の 岸近き宿にのぼりつ
濁り酒濁れる飮みて 草枕しばし慰む
昨日またかくてありけり 今日もまたかくてありなむ
この命なにを齷齪 明日をのみ思ひわづらふ
いくたびか榮枯の夢の 消え殘る谷に下りて
河波のいざよふ見れば 砂まじり水卷き歸る
嗚呼古城なにをか語り 岸の波なにをか答ふ
過し世を靜かに思へ 百年もきのふのごとし
千曲川柳霞みて 春淺く水流れたり
たゞひとり岩をめぐりて この岸に愁を繋ぐ