歳在鶉火
「昔武王殷を伐つ。歳は鶉火に在り。月は天駟に在り。日は析木之津に在り。」という文が「漢書律暦志」にある[12]。そこには「書経
」,「春秋外伝周語」などさまざまな古書が引用され,上記以外にも武王の出兵・行軍・戦勝の日の経緯や干支が記載されている。その内容の信憑性には種々の議論もあるそうだが,文献考証はさておき,ともかくこの短い文から殷周革命の日の特定してみよう。歳とは木星のことで,
鶉火,天駟,析木とはいずれも天球上の位置を表す。12年弱で天球を1めぐりする木星が「鶉火
」に在るのはBC1071年,BC1059年,BC1047年,BC1035年,BC1023年の夏から翌年の夏まで,冬至点がやぎ座にあった当時,太陽が「析木之津」にいるのは11月頃で,月が「天駟
」に在るのは新月2日前となる。したがってその日は特定でき,最も条件に適する日はBC1047年11月27日となる。漢書にも史記にも牧野の戦いで勝利をおさめたのは「甲子の日
」と記載されており,1976年に陝西臨潼で出土した青銅器,利簋にも「武王征商,唯甲子朝」という銘文があるという。甲子の日は60日ごとにめぐってくるので,上記の日の後で探すとBC1046年1月20日,3月21日,5月20日が見つかる。干支のページ。この両者から
周はBC1047年11月27日に戦いを始め,翌BC1046年1月20日または3月21日に牧野の戦いで殷を破ったと考えられる。
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文王は「受命九年」で没し,武王が殷を滅ぼしたのは「文王の受命より十三年に至る」と記されているが,果たして受命とは何だろうか? BC1046年が受命から13年後とすると,文王に天命が下ったのはBC1059年であり,それは天に描かれた。その年の天象として,5月末に起こった五惑星聚合こそこの天命にふさわしいではないか! そればかりかさらに,12月にはハレー彗星が現れた[13]はずという。
以上まとめると
BC1059年5月 文王天命を受ける
BC1051年 文王没,武王継承・・・・受命から9年目
BC1049年 武王挙兵するが撤兵・・・上記の2年後・受命から11年目
BC1047年11月 殷周戦争再度開始・・・・上記の2年後
BC1046年1月 牧野の戦い,紂王自殺し殷滅亡・・・受命から13年
なお,2000年11月に中国の専門家チームより中国古代王朝の開始年として「夏はBC2070年,商はBC1600年,周はBC1046年」という説が発表された[14]。その情報源は最近中国で行われている「夏商周断代工程
」という大規模なプロジェクトの結果らしく,その紹介文には
「武王克商の年代はこれまで44の候補があったが,このたびBC1046年1月20日と確定した。」と記載されていた。