七 曜・・・晴明の日曜日  

 日本人はいつから日月火水木金土という曜日を使っているのでしょうか? 明治になってからと思う人が多いでしょうが,そうではありません。古く平安貴族も曜日を使っていました。
 1000年前の長保六年二月十九日(ユリウス暦で1004年3月12日)に藤原道長は84歳の安倍晴明を伴って新しく作る法華三昧堂の土地探しに宇治木幡に行きますが,その日は癸酉の日曜日ということが「御堂関白記」[1]に記されています。この日が日曜であることは,実際に計算して確認されます。御堂関白記は陰陽師の作った具注暦に道長が書き込んだもので,国宝に指定されています。そこには干支・二十四節気・吉凶の占いはもちろん,日月火水木金土までが書いてあるのです。曜日は9世紀初,空海が唐から持ち帰ったもので,藤原時代には密教行事だけでなく広く貴族間に使われていたようです。
 鎌倉時代の史料として,承元四年=1210年および正和四年=1315年の具注暦の実物が京都大学宇宙物理学教室にあります。[2]によると,栃木県荘厳寺に保存されている康永4年=1345年の「仮名暦」にも曜日が記してあります。さらに江戸時代,貞享五年=1688年の具注暦には初の国産暦である貞享暦の作成者である渋川春海の署名入りで,また文化十年=1813年の「南都暦」にも曜日が記載されています[1]。しかもこれらはすべて今日の曜日に連続しています。

 英語では土・日・月曜は天体名,火曜から金曜までは北欧神話の神々の名がつけられていますが,ドイツ・オランダ・スウェーデン・デンマークなど北欧では一般にそうです。フランス・スペイン・イラリアなどラテン系では日曜(主の日)と土曜(安息日)はキリスト教にちなむ名前で,他は天体名です。中国や西アジアは一般に1,2,3と番号にちなむ名前です。またロシアなどスラブ系では基本は番号ですが,いろいろなものが混入されています。すべてに天体名を使っているのはインド・タイ・日本・韓国など東アジアと古代ギリシアというのは不思議ですね [3],[4]。

 
日本語 フランス語 英語 中国語 古代ギリシア
dimanche 主の日 Sunday 太陽の日 星期日 Helios
lundi 月の日 Monday 月の日 星期一 Selenes
mardi 火星の日 Tuesday ティルの日 星期二 Areos
mercredi 水星の日 Wednesday オーディンの日 星期三 Hermeos
jeudi 木星の日 Thursday トールの日 星期四 Dios
vendredi 金星の日 Friday フレイアの日 星期五 Aphrodites
samedi 安息日 Saturday 土星の日 星期六 Kronos

 曜日の順序については200年頃,ローマの元老院議員・執政官を勤めたカシウスが著わした『ローマ史』に興味ある記述があるそうです。日・月・5惑星を当時知られていた遠い順に「土木火日金水月」と書き並べて,24で改行するということを何回か繰り返して上から読んでみると,「日月火水木金土」の順になります[3],[4]。実は24でなくても7で割って3余る数なら何でもよく,最も簡単な数は10です。実際に試してみてください。
 曜日の起源地はどこかわかりませんが,ヘレニズム時代のアレキサンドリアで天体名で整備され,それが東西に伝播したと思われます。東へは原型のまま伝わったが,西へは神の名や行事が入れ込んで宗教色が濃くなった、後になって番号制に変えるところが出てきた、と考えることができるでしょう。

=== 参 考 文 献 ===

  1. 「安倍晴明と陰陽道展」 京都文化博物館 2003
  2. 「荘厳寺で発見された仮名暦の調査」 神田泰・伊藤節子・岡田芳朗: 国立天文台報第1巻第3号 1992年2月
  3. 「曜日の順序とピタゴラス音律」 臼井さんのページ
  4. 「曜日の名前のはなし」 倉田さんのページ
  5. 「具注暦について」ウィキペディアのページ