閏年をめぐって1  

 今年は閏年,2月がもう1日あります。閏年とはどのように決められているのでしょうか?そしてまたなぜ2月末に1日加えるのでしょうか?
1)西暦年が4で割リ切れる年は閏年
2)ただし西暦年が100で割リ切れる年は閏年ではない
3)ただし西暦年が400で割リ切れる年は閏年 
なんだかわかりにくいですが,どの本でも大体似たような表現です。もう少し整理すると
    次の条件をどちらか満たす年は閏年で他は平年である。
  1. 西暦年が400で割り切れる
  2. 西暦年が4で割り切れるが100で割り切れない
2012年は2.により,2000年は1.により閏年であり,1900年は2.より平年であることがわかります。 でも,どうしてこんなややこしい規則になったのでしょうか?
 現行暦はグレゴリオ暦といわれ,1582年から施行されていますが,ヨーロッパでその前に使われていたユリウス暦では単純に西暦が4で割リ切れる年はすべて閏年としていました。1400年も1500年も閏年です。ユリウス暦では4年に1度,1年を366日としているので,1年の平均日数は 365+1/4=365.25であり,一方1年の日数は365.242194・・・日(回帰年)ですから,1年につき0.0078≒(1/128)日の誤差が出ます。このわずかな誤差でも128年経つと1日の誤差を生みます。128歳まで生きる人はいないので日常生活にはそこまでの正確さは必要ありませんが,長期間にわたって毎年決まった日に行事を行うとなればこれでは不十分です。キリスト教の重要行事である復活祭(イースター)は基本的に「春分の日の後の最初の満月の次の日曜日」(諸説あり)ですから,春分の日を正確に決めねばなりません。ユリウス暦は1200年以上も使われていたため,春分の日は前へ前へずれていき,16世紀には3月11日になっていました。そこで当時のローマ教皇グレゴリウス13世は学者たちを招集して委員会を作り暦の研究を行わせ,1582年にグレゴリオ暦が制定されました。同年10月4日(木曜日)の翌日は10月15日(金曜日)となったので,10日間は空白となりましたが曜日は連続しています。グレゴリオ暦は閏年を減らすために制定されたもので,閏年を400年間に400/4-400/100+400/400=97回置いているから1年の平均日数は 365+97/400=365.2425となります。
 グレゴリオ暦はローマカトリック系の国(スペイン,ポルトガル,フランス,イタリア・南ドイツ諸都市・諸国など)ではすぐ採用されますが,プロテスタント系の国(イギリス,スウェーデン,北ドイツ諸国など)では約200年遅れます。アメリカやオーストラリアなどはイギリスの植民地だったのでイギリスと同じです。最も遅れるのは東方正教教会系の国(ロシア,ギリシアなど東欧)で,第1次世界大戦ころまでユリウス暦を使っていました。アジア諸国は19世紀後半~20世紀初に太陰暦から太陽暦に切り換えますが,ユリウス暦は使っていません。わが国で太陽暦が採用されたのは明治6年(1873年)からとなっていますが,正確には旧暦の明治5年12月3日がグレゴリオ暦の明治6年の1月1日に変わりました。したがって明治5年12月には3日以降はなかったのです。暦を変更するために詔書(なんと朕惟フニで始まる)および太政官布告が出ています。しかし混乱を避けるため官暦(政府が正式に認めた暦)にも明治42年の暦まで旧暦の日付が参考として記されていたそうです。

 閏年に1日加える日が2月末になっているのは,古代ローマ暦ではMartius(後の3月)が年初で,Februarius(後の2月)が年末だった風習を引き継いだためです。 ところで民法のよると閏年であれ平年であれ「誕生日の前日が終了する瞬間に年齢が変わることになる。」そうです。したがって2月29日生まれの場合は,2月28日が終了する瞬間に年齢が変わります。運転免許更新やいろいろな満期などにはご注意を。